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  • 執筆者の写真キャリアコンサルタント有若

富山マラソン2018

更新日:2020年4月2日

10月28日(日)、人生初のフルマラソンに挑戦してきました。

目標タイムは4時間台と思っていましたが。。。フルマラソンをなめちょりました。。。

起床時間は4:00。朝食は4:20 スタミナのこともあり、パンは2枚食べようと思っていましたが、普段通りの1枚しか食べれませんでした。

5:15に車で自宅から駅まで送ってもらい、北陸新幹線を利用して高岡まで移動します。新幹線は運賃の一部を補助してもらっているので、700円でした。

始発のつるぎ701号。発車の15分前にホームに上がりました。混雑するようなことはありません。自由席ですが余裕で座ることができました。出発直前に座席が埋まり、デッキに少しだけ立っている人がいました。 新高岡駅でホームに降りると、ランナーがぞろぞろ。

スタート会場までの無料シャトルバスにのると、後ろの座席にアンパンマンが!

スタート会場に着いて人の流れに乗って歩いていたら、偶然、横江アニキとに会いました。横江アニキとそのお友達が高岡文化ホールに行くと言われるので、ご一緒させてたただきました。 そこでは、ベテランランナーらしき方々もおられて、様子をうかがっていると、カステラ1本やバナナをもぐもぐ食べておられました。そんなに食べないとフルは走れないのかとびびってしまいました。着替えなどを済ませて、荷物を預けて、スタート地点が違うので横江アニキとはこちらでお別れです。 スタート地点はEです。スタート時間まで100円ショップで購入したポンチョで寒さをしのぎます。スタート5分前にポンチョを脱いだのですが、スタートと同時に雨が降り出したので、再度ポンチョを着ました。

三女子交差点前のトイレでタイムロス。走る前に再度トイレに行っておけばよかったなんというのが1つ目の反省です。ここまで大勢のランナーがいて、給水ができませんでした。普段のランニングから、15キロ以上給水をしなくても走れることはわかっていましたが、今回はフルマラソンという長丁場ということもあり、ここまで給水しなかったことについて、少し不安がありました。 その後、10キロ付近で5:30のペースランナーさんを発見。目標タイムが4時間台だったこともあり、その集団を追い越しました。このペースランナーを追い越したことが反省2です。結果的に30キロを超えて、この集団に追い越されてしまいました。 もし、このペースランナーさんについていくことができれば、タイムはもう少し早かったのではと思います。 新湊大橋手前の給食所。まず目に入ってきた食べ物は、いなり寿司です。白エビ天むすを楽しみにしていましたのでいなり寿司を1つ取り、次は白エビ天むすをと思いました。しかし、すでに白エビ天むすはありませんでした。こんなことならいなり寿司を2から3個もらっておけばよかったと思いました。 新湊大橋が見えてきました。テンションが上がっているので、調子に乗って、ぐんぐん上り坂を走ります。足を温存して歩いているランナーもたくさんいます。私の反省3はここです。京都競馬場の上り坂と同じで、「ゆっくり上って、ゆっくり下る」方が、後半の脚を残せたのではと思いました。橋を下ってくるときに、傾斜がすごいので、次第にモモがパンパンになってくる感覚がありました。

海王丸

新湊大橋頂上付近


橋では自衛隊の皆さんが護衛をしてくれています。熱い隊員さんも何人かおられて、ハイタッチ、「ナイスラン!」等の応援の声かけで、ランナーを後押ししてくれました。 これ以降、写真を撮る余裕がなくなりました。 橋を下って給食所手前でエナジージェルを飲みました。 30キロ過ぎて飲もうと思っていたのですが、ウエストポーチを軽くしようと思いました。 さすがにフルマラソンです。そのあと、25キロあたりから今までに痛くなったことがない部分が痛くなりました。モモがパンパンになり、モモの両側、膝の裏側の筋が痛い痛い。脚が棒になりました。 脚が棒になってから、すり足が続きます。モモが上がりません。。。限りなく歩く速度に近い走りでゴールを目指しました。 30キロを超えてからは田園の中を走ります。ペースが落ちているので、風が冷たく感じます。スタート時からポンチョをウエストポーチにくくって温存していたので、それを着て寒さをしのぎました。多くのランナーはハーフ手前でポンチョやビニール袋を捨てていたので、なかなかたいへんそうでした。 田園の中で助かったのは、応援の方がアイシングスプレーを提供してくれていました。たくさんのアイシングスプレーを用意しておらて、ランナーに振る舞われていました。また、温かいスープを振る舞われていた応援の方もおられました。私もこれらには助けられました。 アイシングスプレーを脚にかけていただいて、再度ペースアップです。 ここらあたりで、驚いたのが、菅笠を被り、ライム色のポロシャツを着たランナーの方のことです。多くのランナーはこの方を見られたことと思います。その方は、道のゴミを拾いながら走っておられました。これには、本当に驚きました。ゴミを拾いながらということは、ゴミを見つけたらいちいちしゃがむということです。ゴミを拾うという行為や、精神そのもの、足腰の強さ、本当に素晴らしい方でした。 道中、私はどれぐらいの時間でゴールできるのか計算しながら走っていました。走る前の第1目標タイムは、4時間30分。第2目標は4時間59分。このあたりでどちらも達成が困難と思いました。5時30分はどうか、大丈夫かなど考えていましたが、ペースが遅いため、とうとう5時間30分のペースランナーの一団に追い越されてしましました。結果、一度も5時間のペースランナーさんを見ることがなくここまで来てしまいました。目標タイムを5時間台と再設定し、これ以上ペースが落ちないように頑張りました。 百塚あたりから呉羽の街に入ってきます。2回目のトイレです。ここらでトイレに入る人が少ないようで、タイムロスがあまりありませんでしたが、できればトイレは1回にした方がロスが少ないなと思いました。 呉羽あたりは、道幅が狭く、応援の方と非常に近い距離を走りますし、また、応援の方、声援が途切れません。沿道のおばあさんが「おつかれさまなー、おつかれさまなー」とか、「よう、ここまでこられたー」とか声を掛けてくれました。道中ずっとそうですが、沿道の応援がパワーになります。ありがたいことです。それまで寒かったのですが、日差しが出てきて、給水所でポンチョを脱ぎました。 残り12キロあたりでは、非常に熱いメッセージを発している応援の男性がおられました。「さあ、残り12キロしかないぞ。どうする、どうする、ここまで苦しい練習をしてきたんじゃないのか、さあ、ラストだラストだ」みたいなこと言ってランナーを鼓舞します。多くのランナーはそれに応えてペースアップですが、私は脚が棒なので、周囲のランナーから置いておかれてしましいます。 富山北大橋が見えてきました。あんなにつらかったフルマラソンがもう終わっちゃうのかと思うと、非常に惜しい気持ちになりました。スタート地点と違い、日差しも暖かい。せっかくのマラソン挑戦、脚が棒になっています。早くゴールにたどり着きたい気持ちと、ゴールしたくない気持ちがある複雑な気持ち。もうフルマラソンは走りたくないという気持ちと、もっともっと走りたい気持ちが交互に現れてきます。 フルマラソン初チャレンジとかいいながら、びっくりするぐらい特別な準備をしてこなかった”素のままの44歳”でも、完走できました。非常に自信になりました。 次もフルマラソンを走るかどうかは微妙です。タイムを短縮させるとか自分のために走ることはあまりモチベーションにならないかなあと感じています。初めてなので一緒に走ろうとか、誰かのためだったらモチベーションがあがるかもと思いました。 通過タイム/グロス/ネット/ラップ






帰宅してから、チームメイトが差し入れてくれた三笑楽で祝杯をあげました。とてもうまい!

前日などはエネルギー充電のつもりで、結構食べました。 普段の体重は57キロ台。 前日の夜 59.2キロ、 ラン後 56.8キロ 結構減るもんです。 その後の脚の痛みについては、翌日の月曜日は筋肉痛と左ひざが痛くて、階段の上り下りがつらかったです。火曜日には筋肉痛は無くなり、膝の痛みのみ。11月4日(日)に軽くランニングを再開。翌週の火曜日には膝の痛みが全く無くなりました。


今回の相棒はアシックスGT-2000 NEW YORK 5 。怪我が無く走れたのはこのスニーカーのおかげでもあります。

アウトソールが随分減りました。次はどのスニーカーを買おうかなあ。

次回に向けて


1.スタート前にトイレに行くが、スタート直前にもう1回行っておいた方がよい。ラン途中のトイレ待ちは、大きなタイムロスになる 2.序盤はまずはペースランナーについていき、体力温存する。脚が止まってしまっては、目標タイムが遠くなる 3.新湊大橋はゆっくり上って、ゆっくり下る 4.ポンチョよりもカッパがいい。ポンチョは風が強いとパタパタする 5.勝負は30キロを超えてからのペースダウンを如何に抑えることができるか


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